« 韓国でのM-H戦、中止へ | トップページ | 連休中はいろいろなことがありました »

地下鉄サリン事件からまもなく10年

国内のみならず世界をも震撼させた地下鉄サリン事件から20日で10年になります。
自分やその知り合いに被害者が居るわけではありませんが、当時職場が最も被害者が多く出た築地の駅の近くにあり、聖路加病院も近かったため、当時の記憶は強烈に、そして鮮明に覚えてるので、当時を出来るだけ時系列に振り返ってみたいと思います。


当時、自分は東京・築地にあった本社にその年の1月から転勤になったばかりで、首都圏での生活にもようやく慣れはじめてきた頃でした。
転勤して最初の頃は8:50頃に会社に到着するパターンだったのですが、この頃になるとだんだん早くなり8:00頃に会社に着くパターンになっていました。そしてその日は寝坊していつもより遅い、転勤当初の時間帯の東西線の電車に乗っていたのですが、茅場町の駅が近づくと、車内アナウンスで「火災事故(or架線事故?)のため日比谷線、千代田線、・・・・が不通になっています。銀座方面へは日本橋より銀座線をご利用ください」という内容の案内が流されました。
「火災??なんでそんなたくさんの路線が火災で??どっかの駅で爆発でも起きて駅が崩壊したとかか?」「どうやって築地まで行こう・・・」などと考えているうちに茅場町に到着しました。東西線の階段を上がって日比谷線ホームに出ると、電気が消され、トラロープで線路に近づけないようになっており、なんとも不気味な光景でした。しかし、「火災」を思わせるものは何もありませんでした。

地上に出ると、出入口付近に消防車が何台かいたので、やはり火災なのだろうか・・・と思いつつ、築地へはとりあえず歩いていくことにしました。
築地までは徒歩で15~20分ぐらい。会社の寮から西船橋の駅まで歩く距離とほぼ同じぐらいです。ちょうどこの頃都議選の真っ最中で、八丁堀の桜川公園で立候補者が朝の辻立ち演説を始めようとしていたが、普段に比べて異常に通行人が多いのに気づいて「今日はなんか人が多いな・・・」などと呟いていました。(なんか知らんけど地下鉄あっちこっち止まっててが大変なことになってるの知らんのか)と思いつつ、築地まで早足で歩いていきました。築地に着いたのでいつも使っている八丁堀寄りの出入口を地上から覗いてみると、中は真っ暗でよくわかりませんでしたが、階段の出口付近に座席のシートを担架代わりに使ったと思われる残骸が置いてありました。八丁堀の駅にも消防車が居たし、築地は築地市場方面でヘリがたくさん飛んでいるし、救急車のサイレンがけたたましく鳴っていて、様子は見えないけれどとにかく何か大変なことが起きていることだけは何となく分かってきました。本願寺方面には結局行きませんでしたが、今思えばおそらく地獄絵のような事態になっていたものと思われます。

会社に着くと、先に来ている上司に「いや~地下鉄が止まってて・・・」というと「何かテロかもしれないらしい。爆弾?」というラジオ情報を教えてくれた。今なら職場にテレビ・ラジオがなければ真っ先にネットで情報を得ようとするものですが、当時はまだ社内にネットができる状態にはなっておらず、上司が持っていたカードラジオだけが情報源でした。
とにかくそれからは一日中ひっきりなしに救急車のサイレンとヘリコプターの音が鳴り響き続けました。特に救急車の音はその日は耳にこびりついてしまい、夜に家に帰ってからも、寝るまでずっと耳の中で鳴りつづけるというありさまでした。どうやらサリンらしいと分かったのは昼食時に見たテレビでした。いつも使っている駅にサリンが撒かれたと思うとぞっとしたものです(実際には駅ではなく電車でしたが)。
結局、幸いなことに私が通う会社には被害者は出ませんでしたが、家族にも内緒で休暇を取って平日ゴルフに出かけたために一時安否不明となって大騒ぎとなった幹部社員が居たりして、後で笑い話になったということもありました。またこの日は週明けで部長クラスの早朝会議がある予定だったのが、この日はたまたま中止となっていたために難を逃れた人も居たようです。自分もいつもの電車に乗っていたら、その電車(林泰雄が撒いた電車)に遭遇していたかもしれないタイミングでした。もっとも、自分が乗るのは北千住寄りの車両だったで、難は逃れたかもしれませんが・・・。

夕方4時ごろになると、警察の拡声器で「今から駅構内の空気を抜くので窓を閉め、空調を止めてください」とアナウンスが流れはじめました。(おいおいおい・・・・窓を閉めろってことは、つまりサリンを含んだ空気を抜くってことか?)とにかく窓という窓を全て閉めて回りましたが、それだけではやはり不安で(目張りはしなくていいのかよ)と思わずにはいられませんでした。20分か30分ぐらい経って再び警察のアナウンスで駅構内の空気の交換が終わったことが告げられ、もう安全だと知らされたときには、何か止めていた息を復活させたような(プハァァァ~~)っという、そんな心境でした。

帰りは9時ごろだったと思いますが、まだ地下鉄は止まったままでした。最も、動いていたとしても気持ち悪くて使う気にはなれなかったでしょうけど。そのため、朝と同じように、来た道を逆に茅場町まで歩いて戻ることにしました。道中、地下鉄の換気口がいくつもあるのですが、まだサリンが残っているような気がして、出来るだけ換気口から離れて歩くようにしました。

翌日は会社は休みだったのですが、部内総出で休日出勤をして会議資料を作成しなければならず、電車で出勤したのですが、日比谷線は復旧していたので、まだちょっと不気味でしたが、とりあえず乗ってみました。昨日の騒ぎがまるで何事もなかったかのようにいつも通りの日比谷線でした。しかし、築地の駅に着くと狭い改札口にテレビの取材クルー(カメラ、照明、音声、レポーター)が待ち構えており、不覚にもインタビューを受けてしまいました。確かTBSだったと思います。聞かれた内容は「昨日あのような事件がありましたけど、今日こうして電車に乗るのは怖くなかったですか?」といった趣旨の内容で、答えた内容は「う~ん、ちょっと不気味ですけどまぁこうやって皆さん普通に利用されてますからねぇ」と答えた。結局このインタビューが何の番組のインタビューでOAに使われたのかどうかわからずじまいのままなのですが、どういう話の流れでこのインタビューなのか、そしてどう利用されたのか今でも気になるところではあります。
その日は暖かい日で、花粉が飛びまくって鼻も目も物凄い状態になっていました。ちょうど10年前も大飛散の年だったので、自分にとってはこの地下鉄サリンとスギ花粉大飛散はセットで記憶がインプットされているため、今年の大飛散のニュースを聞くたびに地下鉄サリンを思い出すのです・・・。


・・・・と、まぁここまでが自分と直接関わりのある部分の事件の流れで、あとは報道で接する情報のみです。

|

« 韓国でのM-H戦、中止へ | トップページ | 連休中はいろいろなことがありました »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/61790/3320265

この記事へのトラックバック一覧です: 地下鉄サリン事件からまもなく10年:

» 地下鉄サリン事件から10年 [創難駄クリキンディーズ2004福岡]
10年前の今日、地下鉄サリン時間が起きたんですね。 ・地下鉄サリン事件 (毎日新 [続きを読む]

受信: 2005.03.20 09:54

« 韓国でのM-H戦、中止へ | トップページ | 連休中はいろいろなことがありました »